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これまでの沖縄戦関連書とは全く違う内容であるが、より沖縄戦の実態を教えてくれるという点では、出色の出来である。

[ 宮城一春(編集者・ライター) / 2013.12 ]

2012年9月発行
具志堅隆松 著
合同出版 刊
A5判/172ページ
1,400円(税抜)
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ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。

具志堅隆松 著

毎年、数多くの書が刊行される沖縄本の世界だが、なくならないジャンルがある。それが沖縄戦関連書。

筆者は、当事業のホームページ「沖縄本の概史」で、

敗戦後の廃虚の中、倦怠感を残しつつ出発した沖縄の出版界ではあるが、そこから扉を押し開いて出てきたのは、『鉄の暴風』(沖縄タイムス社編)である。

この本は、沖縄の住民の体験の証言をもとにまとめられた初めての沖縄戦記録であり、沖縄戦という沖縄史上類を見ない悲惨な出来事を、戦争遂行者である兵士ではなく、戦いに翻弄され、流されていった住民の目を通して描いた書である。

その後出版された戦記物は、この『鉄の暴風』の手法を踏襲しているといってもいいほどの名著である。その意味でも、五十年代の出版はこの『鉄の暴風』に代表されるといえ、その後しばらくは、忌まわしい過去との決別、新たな沖縄の試行ともいえる本たちが出版されていくようになる。

と記した。

『鉄の暴風』の刊行から60年近くの歳月が経ち、その間、多くの沖縄戦に関する名著が誕生してきた。そして、沖縄戦関連書にまたひとつ特筆すべき書が登場した。そんな気持ちにさせられた一冊。

本書は、沖縄戦の負の遺産とでもいうべき戦没者の遺骨収集を続ける著者の活動を始めたきっかけ、その後の経緯、現在の状況などを描いている。まさしく私たちの知らない沖縄戦であり、戦後の実態である。

著者は、淡々とした語り口調で、遺骨の状態や周囲の状況から戦争当時の状況を推測していく。遺骨収集の現場から当時のリアルな状況を再現していくのである。そこから戦争の非情さや悲惨さを浮き彫りにしていく。

数多くの収集活動を行ってきた著者の経験に基づく、戦場の推察は鋭くも悲しい。とくに、買い物客や観光客で賑わう那覇市真嘉比(ここが著者の遺骨収集の原点の場所でもある)での遺骨の状況は、あまりの非情さに体の芯から震えが出てくるほど。

また、日本軍の遺骨の状況とアメリカ軍の遺骨状況の比較も、長年、遺骨収集に取り組んできた著者ならではの視点であるし、著者にしかかけない内容であろう(そこは実際、手に取って読んでほしい箇所でもある)。

著者は大上段に構えているわけではない。しかし、静かな文章の中には、たぎるような鎮魂の気持ちや現実への怒りがある。そこから、私たちは沖縄戦を忘れてはいけないという語りかけがあり、戦争への怒りを訴えてくる。そして、行政の壁にぶち当たりながらも、失業対策という発想の転換で行政をも巻き込んでいく方法は見事。

これまでの沖縄戦関連書とは全く違う内容であるが、より沖縄戦の実態を教えてくれるという点では、出色の出来である。

国は個人を守ってくれるのか、個人は国を守ることができるのか。
そのことを改めて考えさせられる書である。

本書は本来、児童書として出版されているわけではないが、児童にも読める文体、内容であり、児童・生徒に是非読んでほしい書でもある。

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