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数多くの絵本を世に出してきた儀間比呂志氏の真骨頂ともいえる内容である。

[ 宮城一春(編集者・ライター) / 2014.02 ]

2013年11月発行
儀間比呂志 著
琉球新報社 刊
絵本/36ページ
1,800円(税抜)
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沖縄むかし話 津堅赤人(ちきんあかっちゅ)

儀間比呂志 著

津堅島は沖縄本島中部の与勝半島の南東約5kmの太平洋上にある島で、ニンジンの生産が盛んで、キャロットアイランドの愛称もある。 沖縄の他の島同様、人情味豊かで、自然にも恵まれた島である。

そして、棒や津堅砂かけ櫂(ウェーク)術が、津堅島を発祥としていることもよく知られており、武術が盛んな島でもある。

その津堅島には津堅赤人の伝説が残されている。紹介してみよう。

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首里王府時代、尚清王の時代の王位継承争いをめぐっての話。

尚清王がなくなり、次期国王は当然、世継ぎとなる世子・尚元。他にも、津堅親方の妹は尚清王の次男を産んでいた。そこで津堅親方は、次男王子を国王にするよう画策するが失敗。

津堅親方は海の底に重石をつけて沈められることになった。しかし、武術の達人として名高かった役人は、絶対に口外しないようにと津堅親方を島人に託し、王府に対しては「津堅洞に沈めた」と報告した。そして津堅親方をかくまった洞穴が今島に残る「ペークーガマ」で、世話をした島人が安里だという。

その安里は、津堅親方に棒術を教えられ、たちまち津堅親方を凌ぐほどの達人となる。

あるとき向かうところ敵無しの大和武士が島にやってきて、安里と立ち会う。お互い死力を尽くして戦った。結果、軍配は安里にあがり、安里の名は世に知れ渡った。

噂を聞いた王様は栄誉を讃え、師の名前を問いただす。しかし、安里は津堅親方の名前をどうしても出せなかった。その気持ちを察した王様は、師の名を聞くことなく、安里に「津堅赤人(チキンアカッチュ)武士」という名を与えたという。

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これが、津堅島に伝わる津堅赤人の伝説だが、儀間は、その伝説にこだわることなく、津堅赤人にスポットを当て、ひとつの創作民話として仕上げている。

昔ばなしや伝説をモチーフに数多くの絵本を世に出してきた儀間比呂志氏の真骨頂ともいえる内容である。

内容をここで説明してしまうとネタバレになってしまうので、深くは書かないが、本書には、赤人という主人公を通して、権力に立ち向かう庶民のたくましい姿や、家族の情愛、多民族に対する思いやりや交流などが描かれている。

そしてそれらが、儀間氏版画の世界で濃厚に描かれている。

一つひとつの版画が、そのまま額に飾って鑑賞しても良いものに仕上がっており、文章の世界と多層にも重なり合っている。
まさしく儀間ワールド炸裂といった作品である。

ワクワクドキドキし、痛快な気持ちになり、楽しくもなり、そして心がホンワカする『津堅赤人』の世界。

何度読み返しても、楽しく、そして心が豊かになる絵本である。

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