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読者は自身の記憶と思い出を呼び起こしながら読み進めていることに気づくことになる。

[ 上原英樹(「書評ライター養成講座」受講生) / 2014.10 ]

2014年01月発行
新城和博 著
ボーダーインク 刊
新書/200ページ
1,000円(税抜)
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ぼくの沖縄〈復帰後〉史

新城和博 著

「復帰」という言葉で私は最初に「復帰っ子」を思い浮かべる。私自身が「復帰っ子」世代だからだ。

日本の敗戦後27年間に亘り、米軍統治下にあった沖縄が日本復帰した昭和47年に生まれた子供たちは復帰っ子と呼ばれてきた。私にとって〈復帰後〉は自分史と重なる時間の流れだ。本書を読み始めたとたん、私の記憶や思い出が次々に蘇ってきた。

具志堅用高の防衛戦をテレビで見た記憶。彼が成し遂げた連続防衛記録が偉大なものだと思ったのは社会人になってからだ。326日間の断水は1981年から翌年にかけて続いて、水色の大きなポリ容器が風呂場におかれていた。私は子供だったから特に困った記憶はないが、大人たちは大変だったろう。 7・30(ナナサンマル)は私が幼すぎて記憶がないが、復帰後の大きな出来事の一つだ。

1978年、昭和53年7月30日のこと。私は当時五歳だから記憶はないが、本書によると深夜0時に実施された車線切り替えは、それは見ものだったそうだ。

私はその騒ぎの記憶がないことを子どもの頃からずっと残念に思っていたので、いい機会だとナナサンマルについて両親に聞いてみた。母親はこのとき一番下の妹がお腹にいて、夜中の外出などできなかったし、そもそも私たちが住んでいた糸満では、とくに盛り上がってなかったそうだ。父親は電気工事会社に勤めていて、7月30日に向けて信号機工事で働きづめで、週に一度しか家に帰れなかったと、初めて聞いた。それから話は海洋博覧会に飛び、両親が私を連れて行ったときのことを楽しそうに話すのだった。この本のおかげだ。

復帰は沖縄の社会だけでなく、沖縄の人々の一人ひとりにとってターニングポイントであっただろう。復帰を境にして沖縄の人々の時代が始まったといえる。だから、著者の新城和博氏が復帰前の記憶がモノクロ(白黒)で、復帰後は記憶が色づいてくるというのは、いかにもそうだろうと思う。

本書は新城氏が『「お題」を与えられて、自分の記憶の中から蘇る場面を描きました。』(まえがきより)という。新城氏の個人的な記憶、思い出とともに復帰後の沖縄の出来事を綴っていて、しかし読者は自身の記憶と思い出を呼び起こしながら読み進めていることに気づくことになる。そして周りの誰かと話したくなるのだ。

1972年5月15日、いくつだった?

ダイナハ開業、ナナサンマルの日、海邦国体のときは?

ミハマ・セブンプレックスはすごかったね。

「ちゅらさん」て2001年放送。もう十年以上前だよ。

そんな共有しやすい出来事ばかりではない。1985年の西銘順治氏の「ヤマトンチュー(大和人)になりたくて、なりきれない心だろう」との発言は、正直に言うと聞いたことはあるが考えたことはなかった。自分で考えなければ話題にはできない。

1995年10月21日の沖縄県民総決起大会、2004年8月に沖国大に米軍ヘリ墜落、2007年9月27日の教科書検定撤回県民大会、そして2012年のオスプレイ配備。本書後半ではそうした項目が多くなる。

今日現在に近いほど、そうした話題が多いのは沖縄が復帰前から変わらない面であることを本書は示している。

※この書評は、「平成26年度 書評ライター養成講座」の課題として受講生から提出された原稿を、講師の添削・指導のもと、加筆・修正して掲載したものです。
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