Home > 沖縄本をさがす >琉球仏教史の研究

あたかも政治史と伝承の間に横たわる溝を、仏教というやわらかいものが埋めてくれるような感覚。

[ 賀数仁然(FECオフィス・ラジオパーソナリティ) / 2014.02 ]

2008年6月発行
知名定寛 著
榕樹書林 刊
装丁:杉本直子
A5判/460ページ
6,400円(税抜)
出版社のホームページへ

琉球仏教史の研究

知名定寛 著

歴史は人の生活の営みの連続ともいえるだろう。
それを知るうえで一番てっとり早いのが、書物を手に取ることだ。

日本史や世界史などの一般書では、すこし難しいものから、やわらかいものまで多様だが、琉球・沖縄の歴史の本に関しては、そう多くはない。
歴史書の多くは政治史であり、専門家が書いたものは、どうも肩がこる。

一方で、伝説・伝承を集めたような沖縄本も多い。しかしそっちはぼんやりしていて、いったいどの時代の話なのか、何かつかみどころがなかったりする。特に琉球史に関しては、最近でこそわかりやすく表現しようとする機運が高まってきているが、未だ両者の開きは大きいと思う。

私は、本書を楽しんで読むことができた。完全な学術書であるが、あたかも政治史と伝承の間に横たわる溝を、仏教というやわらかいものが埋めてくれるような感覚ともいえる。
仏教という、明文化されなおかつ琉球が国交を結んでいたアジアの国々で広まっていた外来の宗教が、ちょうどいい具合に納まるのだ。

たとえば、琉球王国統一前のグスク時代、中山の英祖王が初めて仏教を受け入れたことになっている。当然、在来の信仰もあり、グスク内の御嶽は大切にされていたが、本書では英祖王の仏教を受け入れる意識などへのアプローチを試みている。

また、沖縄の民俗芸能であるエイサーと、似せ念仏関連の記述もとても身近に感じる。当時のアジアにおける琉球の立ち位置も面白い。

詳しくは読んでいただくのが一番であるが、なにしろ、グスク時代から、近世まで網羅されていて、かなりのボリュームである。ところが、このボリュームがうれしい。読み進めていくうちに、むしろ「もう終わっちゃうのか」という寂しさも感じてしまうのだ。

それでも厚い本はちょっと、という方には、沖縄の人気芸能であるエイサーの歴史について書かれた八章だけでもお勧めできる。当時の琉球・日本の交流をえがき、さらには、士族階級だけでなく、民衆への広がりが、しっかり絵として、浮き彫りにされていく。

また、浦添ようどれ(英祖王埋葬側)に残された石棺の彫刻から琉球における仏教の形態などが見えてくることなど、歴史学、考古学、比較文化学など、多方面からのアプローチが知的好奇心を刺激してくれる。

僕が県外の友達からよくされる質問で困っていたのが、「お葬式は何宗でやるの?」であった。

日本史では近世よりはじまる檀家制度が、当然ここにもあるだろうという発想からの質問なのだけれど、どっこいこちらは別の国であり、その制度が及んでおらず、したがって仏教式の葬儀にあまりなじんできてはいない。 改めて19世紀末まで琉球国という独立国であった故郷に驚嘆した。
だからといって、仏教が全くなかったかというと、そうでもない。弥勒菩薩からミルク神という来訪神に変化したなど、ここかしこにその片鱗が見え隠れする。

ガッチガチの政治史を仏教でひも解き、王族や王府、民衆にいたるまで、人の営みがリアルに描かれている。決してやわらかい文章とはいえないが、体温が伝わる歴史を感じさせてくれる。

ことに序章では、先行研究ということで、研究史のながれも理解したうえで、深い世界に入っていける。

これはまさにエンターテインメントであると賛辞を送りたい。いや、これはとてもすごい本だ。

このページの先頭に戻る