Home > 沖縄本をさがす >沖縄語死語コレクション

もはやこの先、絶対に使わないだろうという単語もあるが、解説部分が秀逸で楽しいのだ。

[ 賀数仁然(FECオフィス・ラジオパーソナリティ) / 2014.02]

2006年7月発行
新垣光勇 著
郷土出版 刊
B6判/278ページ
1,800円(税抜)

沖縄語(うちなーぐち)死語コレクション 
増補改訂版

新垣光勇 著

よくぞ書いていただきました。 感謝の念を禁じえない本だ。

沖縄県では、島くとぅばを継承しようという機運が高まっている。
10年間を推進期間として、各地でイベントやシンポジウムが行われている真っ最中だ。

また、学校でも島くとぅばの講座を拡充していくという。しかし学校の場合、一律で同じカリキュラムとなるため、地域制が失われるのではとの懸念があるという。

かつて、沖縄では言葉も、農作業も、地域お祭り、芸能、すべて“シマ”という字(あざ)レベルでのものだった。

シマが変われば、言葉も変わる。

一言に「島くとぅば」「ウチナーグチ」といっても、多様性を内包していて、それを細かいメッシュをかけて継承していくことの困難さを思い知らされる。かつてのシマ単位の言葉や文化を、今は学校が担おうとしているのだから多少無理がある。

平成の大合併で、かつてのシマは大きく変化し、学校も新設校ができる一方、統廃合も進む。そういえば、「童名(ワラビナー)」と対になる言葉に「学校名(ガッコーナー)」というのがある。

ワラビナーはシマの中で呼ばれる通称で、ガッコウナーは戸籍上の本名。私としては、ここにすでに隔たりを感じるのであるが、学校がそれを担おうとしているところに不安を感じるのは私だけではあるまい。

また、私の世代でも、アオカナヘビの呼び名が地域で変わり、面白かった記憶がある。私の地域では、「ジューミー」とよんでいたが、いとこの小学校では「アータクー」だった。

閑話休題、

こういった言葉の習得は、家庭もそうだが、遊び仲間あるいは、シマ、近所の年上の人たちからだった。

だいぶ前置きが長くなったが、本書「沖縄語死語コレクション」は、そんなシマの先輩と会話しているような、懐かしい不思議な感覚になる本だ。しかも本書は、言葉の意味をつづるだけではない。ちゃんとエピソードや、周辺情報も書かれており、懐かしい人には懐かしく、知らない人には興味深く学習できるという労作だ。

もはやこの先、絶対に使わないだろうという単語もあるが、解説部分が秀逸で楽しいのだ。

例えば、「魚売やー【いゆうやー】」の項目。魚売りの行商とある。夫や親せきの捕ってきた魚を引き取り、カミアチネーで売り歩いた」とある。わかる人には、さらに続く「イヨー コーンチョラニー」の口上が出てきてたまらない。知らない人でも【カミアチネー】の項目があるからなるほどとなり、あるいは年寄りに聞いてみたりすると会話も盛り上がるし、聞かれた年寄りだって、あのころにトリップできるワードのオンパレードだ。

ほかにも「イユグムイ=龍潭」など、当時の地名の俗称や、通称などが時代背景とともに書いてくれている。この辺りは、学校の島くとぅばでは、まずカバーできないだろうなと思ってしまう。

近所にいる、島くとぅばが達者で歴史・風習・風俗に詳しいにーせーと話しているような、あるいは、子供の頃、捕まえたジューミーを入れた虫かごをのぞくような、そんな本なのだ。

このページの先頭に戻る