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紙面の上を、ウチナーグチが賑やかに楽しそうに踊っているようだ。

[ 宮城一春(編集者・ライター) / 2014.02 ]

2004年1月発行
沖縄文化社 編・刊
イラスト:安室二三雄
B6判/126ページ
951円(税抜)
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ウチナーグチ入門

沖縄文化社 編・刊

2013年は「しまくとぅば元年」であったのではないか。
そう思わせるほどの盛り上がりであった。

特に9月以降は、新聞やテレビを中心とした媒体が連日のように、「しまくとぅば」の話題を取り上げ、紙面や画面を賑わしていた。
特にユネスコによって八重山語や与那国語、沖縄語、宮古語など、沖縄全域で話されている言語が危機的言語であると指摘されたことも、大きな契機となったであろう。
2013年、「しまくとぅば連絡協議会」が設立されたことも、大きな出来事であった。

しかし、言語というのは保護されてさえいれば、消えないというものではない。市井の人々が日常生活の中で使ってこそ、守り、継承していけるものであろう。

だって、言葉は生き物なのだから。

私にとっての「しまくとぅば」は、祖母や父母が使う言葉であった。父方は佐敷出身なのだが、祖父の時代から那覇で生活していたため、祖母や父の使う言葉は那覇言葉であり、母方も那覇生まれ育ちなので、純粋な那覇言葉を使っていたように思う。

しかし、私自身、しまくとぅばを日常生活で使うことはほとんどなかった。ただ、祖母や親せきのばあちゃんたちの話すしまくとぅばは理解できたので、しまくとぅばと共通語で話している状態であった。

今考えれば先進的であったと思うのだが、小学校の先生がしまくとぅばを使うことに情熱を燃やしていて、学校でもしまくとぅば(当時は方言と言っていたけどね)を使おうと授業で教わっていた。
沖縄の民話やわらべ歌、歴史なども教えてくれた。

長じて社会人となり、仕事で各地の学校を訪問したとき、「標準語を使いましょう」とか「標準語励行」などというポスターを見るとビックリしたものである。
金城先生には感謝しなけれればならない。

なんやかんやありながらも、しまくとぅばを少しずつ口に出せるようになったのだが、ここで転機が訪れた。高校入学して気づいたのだが、私の使うしまくとぅばと、他校から来た友人たちのしまくとぅばが違うのだ。典型が発音。那覇言葉は基本的に発音が悪い。

例えば、チョーレー(チョーデー)、ウルルカスン(ウドゥルカスン)、レージナトーン(デージナトーン)など。
昆虫などの呼び方も違った。

在籍数が少なかった小中学校から進学した私は、これで萎縮してしまった。自己主張できずに、しまくとぅばを回避するようになったのである。

このような経験を持つ方は多いのではないだろうか。多数派の前に、戦う前に尻尾を巻いてしまうのだ。
考えたら、劣等感の塊だったよなぁと、つい感慨にふけってしまう。

一昔前、ヤマトへ出ていった県人もそうだったのだろう。多数を占めるヤマト言葉の前に、劣等感を抱き、その言葉に同化していく。言葉だけではなく、生活習慣までをも変えていく。
たぶん、そうだっただろう。

言葉というものは、単なる話すだけのものではなく、人間としての尊厳の問題なのである。今となってはそう思うが、10代の私にとっては、自然にとるべき道であったのだろう。

そのように、言葉というのは繊細で微妙な問題を含んでいる。
しかし、だからといって、このままだと滅びていくだけだろう。

しまくとぅばを話そうという運動が起きても、しまくとぅばを話せない人はどうすればいいのだろう。

私のように、しまくとぅばを日常生活の中で、空気のように聞いていた者とは違い、しまくとぅばを話す・聞く環境にはなかった人たちで、しまくとぅばに触れたいと思う人は絶対いるに違いない。

などと思っていた矢先。

手元に届いたのが本書『ウチナーグチ入門』。

いやぁ参りました。「方言解説」、「沖縄語と日本語の違い」から始まって、「ことわざ」や「わらべうた」、「基本的な会話」など、いろいろな切り口でウチナーグチが掲載されている。

紙面の上を、ウチナーグチが賑やかに楽しそうに踊っているようだ。
さらには昔ばなしや組踊の原文と日本語対訳までついている。
面白い。

ウチナーグチを知らないけれど、これから学びたいと思う方には、ウチナーグチのワンダーランドのように思えるだろう。

入門編と銘打っている通り、初心者から楽しめる内容だが、熟練者にも楽しめる書、それが本書『ウチナーグチ入門』である。

また、安室二三雄さんのイラストも絶品。ベテランらしく、内容に合わせて、さまざまな筆致を見せてくれる。安室さんのイラストを見ているだけでも楽しい。

言葉は進歩していくものであるが、原点に立ち返ることの素晴らしさを教えてくれる書である。

もし本書を持っている人を見かけたら、ウチナーグチ(シマクトゥバ)で話しかけてみようではありませんか。

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