この本に出てくる昔の那覇は、メインストリートが国際通りではなく、東町や西町の辺りだから妄想しまくるのだ。
[ 喜屋武晃仁(「書評ライター養成講座」受講生) / 2015.02 ]
1986年02月発行
嶋袋全幸 著
若夏社 刊
四六判/ 239ページ
1,500円(税抜)
昔の那覇と私
嶋袋全幸 著
東ボンボロー、西ハーガー、久米村(クニンダ)ビタタイ、湧田サバカチ、久茂地ヌイー、若狭町サラグワー、壺川ホウホウ、泊マースー、垣花ヒヨー。
この言葉を聞いてピンと来る人は今は少ないのではないか。
祖父が唐旅に出る前、ビールを美味そうに飲みながら、昔の那覇ではお互いの地域をこういいあって冷やかしていたそうだと何度も聞かされていて、「イヤー、粋な言葉で他シマをこき下ろすもんだなー」とおもっていたが、まったく聞かされた通りの内容が書かれてある本に出会った。それがこの『昔の那覇と私』だ。
昔の那覇っていうと、いつの時代を想像するだろうか。
なんだかノスタルジックな気分になるのだが、自分の記憶にある昔の那覇といえば、よみがえるのはナナサンマルあたりの頃だ。
国際通り辺りだと、むつみ橋に歩道橋があって、三越には東宝劇場があって屋上の遊園地にあったロボコンに乗ったり、ビクモンのハンバーガーが至るところにあったりした。
そしていつの間にかバス停が反対側になっていることに、「なんか変わった感じがするけどなー」と思いながらもそれ以上追求しようともしなかった。
まぁそんなところだ。が、この本に出てくる昔の那覇は、メインストリートが国際通りではなく、東町や西町の辺りだから妄想しまくるのだ。
大航海時代の琉球ほど昔でもなく、つい百年前くらいに、いっぱしの都会人気取りだった(かもしれない)人たちが闊歩する平和な時代の那覇。
想像してほしい。東町に山形屋があって近くを電車が通っていた時代のことを。
辻の遊郭にニービチジュリで飛び込むうちなーんちゅの事を。
セルラースタジアム那覇の辺りは浮島だったことを。
落平(うてぃんだ)には湧き水が豊富にあったことを。
その頃のジュリって見た目どんなに綺麗だっただろう。
情景を思い浮かべると思わずタイムトリップしたくなる。
タイトル通り、著者の嶋袋全幸氏が少年時代をすごした大正から昭和初期にかけての那覇の様子が事細かに描かれている。
それにしても、那覇人(ナーファンチュ)は口が悪かったようだ。でも味のある口の悪さだ。
国頭人は山原(ヤンバラー)、中部は面曲り(チラタマヤー)、島尻は尻尾なし(ジュームッカー)、おとなり首里に至っては首里ダラーと完全にこき下ろすのが好きなようだ。
そんな中でも、戦争も無く楽しくたくましく生きるあの頃の那覇人と、その情景を思い浮かべるだけでも価値のある一冊だ。